竹村さん :「本番はどうだったの?」
私 :「もうバグバグしながら歌った」
竹村さん :「恐かったんだ」
私 :「うん、凄く… 凄く恐かったの…」
実は録音の日に久しぶりに会った竹村さんとの会話で、このやり取りだけで、心がほっとしました。
この1ヶ月、今までの本番とは全く、全然違って、恐怖と闘っていました。
レッスンに行けなくなるほど。
レッスンが結構本番直前だったから、レッスンで失敗してしまったら、もうあまりの恐怖で本番当日ホールへ行けなくなったら困るから。
最後のレッスンで、何かを掴もうと思って、先生にすがるような想いでレッスンに行く人もいるかもしれないけれど、私は、違ったのでした。
こんな気持ちになったのも、初めてです。
そして、本番では震えながら歌ってしまいました。
余裕のない歌。
そんな歌でも、お客様は感激してくださって、涙が出たとも言ってくれて、あんな拙い歌でも、涙を流してくれるのですね…。
拙い歌だったけど、何かが伝わったんですね。
歌が上手いから、人が感動するのとは違うのですね。
でも、私は専門家、私の歌の先生も世界の耳を持った人です。
なので、冷静に受け止めなくてはいけません。
2017年5月の一覧
本番の恐怖
もう切り替えないと…
本番前の愚痴メールに、本番前日の心ないメッセージ。
みんなプロだろうにどうして解らないんだろう?
きっと、そんな不運な事が本番前に起こる、て言うのは、多分、厄落としだったのかな?
それから、私もここ1年間は、不平不満が多かったから、あまりいい言葉を人に吐かなかったから…。
思っても口にしてはいけなかったのに…。
口にしても、私の気持ちは誰も解らなかったし。
ほんとに寂しかった…。
何処かへ行きたいなあと思うけど、行く宛もないし…。
早く次へ向かわないと行けないのに…。
早く切り替えなくちゃ。
明日も大変なのに…。
歌う者の心
歌う人の気持ちは、その本人にしかわからない。
だから、今度から、どんなにプレッシャーがかかって不安が襲ってきても、自分で乗り越えよう。
人から優しい励ましの言葉が欲しかったり、
自分の不安な気持ちを誰かにぶつけても、誰もわからないみたい。
だから、自分でその不安も全て受け止め、自分で乗り越えよう。
一つの本番が終わっても、欲しい人からの労いの言葉も、慰めも、なんにもない。
自分自身でも、あんなに頑張ったのに、本番直後に先ずは自分で自分にダメ出しして、頑張った自分を自分で慰めもしなければ、労いもしない。ダメ出しして、ダメだったところばっかり自分を責めて、悔やんで、考えてみたら、可哀想過ぎました。
結果はどうあれ、ほんとに頑張ったのは確かなのだから、それは自分だけがちゃんと知っているのだから、先ずは自分で自分にご苦労様を言って、頑張った自分を誉めてあげても良かったかも?
とにかく、歌う者の気持ちは、その本人にしか絶対に解らないもののようです。
消えました
せっかく一生懸命書いたブログを消してしまいました。
もう同じのはかけません。
ゴミ箱こら拾えないのかな?
どうしたらいいのかな?
心のある歌
私の良いところは、心のある歌が歌えるところ。
と、あるコンクールに出た時に審査員の先生から、言われた事があるんです。
綺麗に上手に歌う人はやまほどいる。
でも、あなたは、何か心のある歌を歌う事ができる、他の人にはない特別なものをお持ちのようです。
と、批評に書かれてありました。
実はそのコンクールでは、グランプリ、1位、2位、なしの3位だったんです。
1番になりたかったのに、なれなくて残念だったけれど、その批評は歌手人生を生きてる限り、一生私を支えてくれます。
技術は絶対磨かなくてはなりません。
技術なしに、自分の伝えたい心は絶対に伝わりません。
なので、技術を磨く事はとても大切です。
血がにじむほどの思いで、技術を磨く努力はしなくてはなりません。
それを怠ってはいけません。
そして、最後、どうしてもプレッシャーでつぶれそうになった時には、その審査員の言葉を思い出して、勇気を持って本番に向かうしかありません。
技術なしに、本当の心の歌は歌えません。
特別な自分になるための、何者でもない自分。
最近、自分は何者だろう?て、思っていました。
だけど、今はそんな事考える必要がないのだと思いました。
自分は何者だろう?
でも私は、本当の特別な自分になる為に、
真剣に勉強を積み重ね、自分を磨いています。
なので、今、人からの評価は関係ないと思いました。
人が今の私をどう思おうが関係ないのです。
社会の中での私の今の位置付け等、全然どうでも良い事。
ですから、自分で、自分が何者なのかも、今、はっきりさせる必要はないと思います。
段々とはっきりしてくるのだと思います。
本当になりたいものになるのだと思います。
これからが本当の人生を歩むのだろうなあと思います。
小さな幸せ、小さな喜び、また苦悩は、ある程度生きてこないと、味わい尽くせない。
これから私は、小さな喜びであっても、多分、自分は多くに恵まれ幸せである事を味わい尽くすと思います。