開口ハミングをする意味は、
① 今日の調子を確かめる、身体全体の立ち上げ
②声帯のストレッチ
③声の鳴るポジションの確認
高い音は、その音だけを取って練習してもいいですよ
上の録音は high ceです
実声にしたときに、とてももスムーズに鳴ります
いきなり高音を声で鳴らすより、ストレッチをかけてから、声にするのとでは軽さが違います
この一回で、私はもうポジションを身体で覚えたので
このまま本番でも、確実にHigh ce まで鳴ってくれるはずです
開口ハミングを行う時に気を付ける事は
鼻に声を入れ込むのではありません
鳴るところで鳴らしてください
ハミングが鳴らないということは、恐らく、喉が開いてないか、横隔膜が降りきってないか、の理由で、声の鳴るポジションまで声が上がってきてないのだと思います
ハミングは、運動前のストレッチです
ゆっくり時間をかけて行ってください
お知らせ
開口ハミングをすることの意味
歌う時の姿勢ソプラノ編
私がいつもお手本にしているマリエッラデヴィーアさん
よくこの写真の姿勢になって歌ってます
顎が上がるのね
これね、どうしてこうなるか?
私も最近この姿勢でほとんど歌ってます
背中から首にかけて、息がスーっと抜けていくように、真っ直ぐの状態を作っています
これ、きちんと理に叶った姿勢なんです
私は、例えばこういうフレーズに来たら
必ずあの姿勢になります
ソプラノの歌は、ほとんどがそういうフレーズの連続なので、ずっとあの姿勢になります
なので、どんな時も暗譜でないと、いい歌が歌えないような気がしてきた今日この頃です
ベルカントの特徴は “Sul fiatto” です
詰まり、息に載せて といいます
この姿勢でないと、息の乗り方が違うのです
声が明らかに違うのです
そして、歌う時は、常にオープンハートです
心を閉ざした状態では、声は出てこないのです
大っぴろげに、心を開いて表現していくものです
時と場合いにもよりますが、歌い手は、いつでもどこでも、すーっと、なんの躊躇なく歌えないといけない
なので常に毎日の生活の中で、歌と共にあって
いつでも声を発せられる状態にしておかなくてはいけません
パッと反応できる身体にしておかないといけない
歌う事が取り立てて、特別な事では、あんまり歌手は向いてないのかもしれませんね
だからといって、大切な喉ですから
むやみやたらと、喜んでホイホイと、いつでも「歌って」と言われて歌うわけではありませんが、時と場所を選びますが
基本的に、歌う事が日常の中に常にあるという状態でないと
歌手の仕事は務まらないのではないかな?と、思います
「千賀さんは、いつでもどこでも歌ってといわれたらスーっと歌うじゃない!」と、人から言われた事がありましたが
仕事でいつも生徒さん達と歌っている事もあって慣れてるのでしょうか?
全然、特別な事ではなく、これも当たり前というか、私にとっては自然な事です
ただ、自分の喉を労りたいので、控えたい時は多々ありますが
精神的にだか、魂的には、全然普通です
なんてことないことです
会員様からの嬉しいお言葉
月に、5週目があったりすると、たいがい
5週目はお休みになったりします
その間に、いつもより歌の事に費やす時間を持った日を過ごしました、と。
そしたら、やはりそれだけの事はありました
趣味の事なのに、そこに意識を向けてくれている、て、嬉しいなあと思いました
みんな逃げ腰に、練習してません、できてません、と言って、来るのが普通で
また、私にはそれを言っても大丈夫と思ってるのかな?
私は別に、普通の一般の社会人の方に、物事を押し付けたり、怒ったりはしませんので
社会人になって、働きながら、趣味の事に費やす時間や体力が、本当にはないことを知っております
また幸いにも時間もお金もたっぷりあったとしても
習慣づいてないものを、いきなりはなかなかできないで、一週間を過ごしてしまうこともよくあることです
いつもより歌に費やした時間を持ちましたと、言って来てくださることは、有難い
趣味の事は、習ってるとはいえ、二の次、三の次になってしまいがちです
それを、意識をそこに向けてくれた事は、本当に嬉しかったです
ありがとうございます
そして、やはり思うのは、才能ある人は
勝手に自分で、自分の望むように向いて行動を起こしていくのだなと思いました
もう一人の別の方も、総合的に考えて、自分の望む在り方や、ライフスタイルを作ろうとしていっている方もおられます
そうしたら、趣味のこの歌の事にも、もう少し時間を持てますから…、と、いよいよ本当に行動に移したようです
あまりにも余裕のない働き方となってしまい、人間らしさに欠けるようなライフスタイルでは
犠牲にすることも多く、私の人生はなに?と思うのだと思います
若い時にしか培えないものもありますのに。
他、子供の心の安定や、発育の事等を考えたら、物質社会とはいえ、本当にこのまま仕事ばかりに時間が取られていて、いいのだろうか?と
今の社会の在り方や、働かせ方に疑問だと
もう、世の中の方々も心の悲鳴を挙げ出した、爆発寸前なのではないかと思いました
私だって、好きな事を仕事にしてるとはいえ、
働いても、働いても、豊かになれないし、疲れてしまって、本来やりたかった事に、いまいち気持ちが向いていきにくいと、思った事は幾度となくあったわけです
怠けたいとか、ゆっくりしたいとか、そういうわけではなく、やはり限度というものがあると思いました
音楽の事ならなんでもいいのか?と言ったら、そうではないので
その中でも専門というものがありますから
できなくはないけれども、あまりかけ離れた事をしていることは、結構、エネルギーの無駄遣いになる事もあります
私は本当は、自分の専門の事に、どっぷり使っておきたい、と、思うタイプでしたので、それでも苦痛だとはおもいたくはなかったので
やる以上、楽しい雰囲気を作り行えるのですが、でも本当は、エネルギーの向ける矛先が、違うなあと思った事もあります
なので、昨今のように、ある程度の志を示してくださる会員様には、本当に嬉しく思いました
無理をせず、適度にお互い励みとなりうる存在でいれたら、10年後には、どんなに素敵なグループとして存在できているだろうか?と
このベルカントという言葉に負けない、真のグループでありたいと願っています
プロも愛好家さんも、分け隔てはありません、みんな同等の、少なくとも最低限のレベルまでは、引き上げ進んで行くつもりにしております
今日も元気
今日も元気に出勤しております
今の幸せに喜びながら、今日も素敵な1日を送ります
あんまり、いろんな事を気にする必要もなく
私が私でいれたらそれでよし!
何者にもなる必要もなく
立派でも偉くもなく
淡々といつもの日常を送ります
イチロー選手にパンを売った話
むかーしむかーし
私ね、イチロー選手にパンを売った事あったのよ
イチロー選手が神戸に居たときあったでしょ!
須磨パティオの大丸の中の、ポール・ボキューズというパン屋さんでアルバイトをしたことがあったのね
その時の、ある日曜日の朝、ポール・ボキューズにパンを買いにイチロー選手が来たの
周りは、わー、イチローだあ、て、ざわざわー、て、なってたけど
私はその頃、音楽の事しか興味がなかったから、野球にはまったく、ミジンも興味がなかってので、わらなかったの
イチロー選手だあ、て周りが言ってても、誰それ?みたいな感じで
ふーん😒て、見てたらね
物凄く爽やかなニコニコ笑顔でね
手を振ってね、かるく会釈して、お店を出て行ってたよ
私に手を振ったわー、知らん人がー、と思った
でもニッコリ笑って会釈してたから、私もニッコリ笑って会釈したけど・・・・
今のように、あんなにスターになって、偉大になる人だとは知るよしもなく
それよりも、私自身が、これから私は歌手になって、立派な歌手になるんだー!!!と思っていた時期だったので
自分がスターのつもりでいたものだったから
まだ何にもなってなかったのに
まったくもって、人に興味はなかったころなのよね
でもね、さっき偶然YouTubeでイチロー選手のお話を聞いたのね
そしたら、イチロー選手が、選手生活の中でぶつかった壁は、私と全く同じ、私もぶつかった壁だった
イチロー選手は、全て1つ1つの壁と向き合って乗り越えた人
私は、全て乗り越えられなかった人
ものの見事にイチロー選手は乗り越えた人
私は乗り越えなかった人
はっきり分かりやすかった
そのお話の中でも印象強く心に残ったお話は
「僕は、野球に対する自信は失った事はないけれども、それを取り巻く環境に対応できるかどうかは、別問題なので、その事で何年も悩んだ」と
アメリカから引きかえして、日本でプレーしようかな?と、何度も真剣に考えたと
しかも、イチロー選手はアメリカでは外国人
私は、日本国内に居てたにも関わらず、私を取り巻く環境に馴染めないし、乗り越えられなかった
そして、私も、私が潜在的に持っている、歌うという能力に対して、自分で信じるものがあり、自信があった
イチロー選手は逃げなかった、私は逃げた😱😱😱😁😁😁😁
他にも沢山あるのだけれども、全てあのイチロー選手でさえ、自分と同じ壁にぶつかっていた事に驚きました
イチロー選手は全て乗り越え逃げなかった人
私は全てことごとく乗り越えず逃げた人
だから、今現在彼はスターで、英雄で、私は普通の人
だけど、私もやはり目指した物があって
真剣に、哀しく思いながらも、自分の弱さを受け入れながら、自分の人生を生きたので
イチロー選手の話が、自分も体験したかのように、心に刺さるし、響くしで、びっくりしています
ただやはり、イチロー選手が努力した部分は、野球を取り巻く周囲への対処や対応の仕方、適応の仕方に悩んで努力したのであって
野球に直接纏わる、トレーニングを毎日コツコツと積み重ねる事、野球の技術的な事を研究し、身に付ける事そのものは
周りから見たら、ストイックで、努力している風に見えるようだけれども、僕はそうしている事が好きでやっている事で、常に身体を動かしていたいタイプで、何一つ努力とか、我慢とか、そんな事はしていないと、話していました
強いて言うなら、身体を休ませなくてはならず、動くなと言われる事がよくあって
それを我慢する事が大変だったと、でもプロは、それも大切な事なんだと話していました
でも、そんなイチロー選手でも、常に失敗の連続で、その失敗と向き合っていないといけない、とも話していまして
あー、そうだったのか・・・・、と
失敗を恐れる事はない、というのはこういう事なのかな?とも思いました
なので、本当は、プロが、私は才能がないのかも?と、ぼやく事は、本当はできないこと
プロの世界の中で、才能がないのかも?と、ウジウジ言っているような人間は、
才能ないと思うなら、辞めな、て、言われる、相手にされないとおもうんだよね
ここは、才能ある者達の来るところだからと、言われると思うんだよね
そして、競争の世界でもあって、特にイチロー選手の世界はそうですよね
勝敗がはっきりしますからね
そして、エゴの塊の人間ばかりが、ひしめいている世界なのに、それが当たり前なのに
日本でも、アメリカでも、チームのために、チームのために、と、言うのが気持ち悪いとも言ってました
正直な本音を言うのが怖い
何処へ行っても、チームの為にと言ってる方が安心安全みたいなんだ、と、
イチロー選手は、その言葉を聞く度に、『うそこけー!』みたいに思ったみたい
みんな自分自分自分のエゴの塊のやつらばかりやないか!と、思って気持ち悪かったと
私はそれを聞けて、安心しました
やっぱりね、現役の間は、オペラの世界でも同じだと思うんだよね
なんか、悟りをひらいたみたいな事を、言う必要はなかった、いい人ぶる必要はなかったんだあと
1つの事を極めようとしてね、それに夢中になって向かっていってる人間が
あんまりわかったような事を、言えるものではないんだなあと
特に、ゲームの世界では、闘志を燃やして、いろんな物と戦っている最中だからね
オペラの世界だって、そんなに変わらないと思います
でも、イチロー選手の話を聞けた事で
自分の歩みも、そんなに悪くなかったなと思えました
やはり、自信を持って生きる事ができますし
この先の事も、楽しみにあゆんだらいいのだろうし
世の中には、精神的に強さを持っている人もいれば
弱い人もいるし
いろんな人がいるんだから、お前みたいなやつはダメだみたいな
脱落していく人に、やたらとガッカリするみたいな
たとえそれが、人生のレールから滑ってしまう人に対して
情けないよ、とか、そんな心を向けるべきではないように思います
たまたま、この世の中のレールに上手くのれなかった人、或いは、いま、たまたま上手く行っていないだけで、まともな人、と、優しく見てあげたらいいのでは?
人間の世界が、弱肉強食では困りますし、次元が低いと思います
世の中は、弱肉強食なんだよ、なんて、言っている社会は、あんまりいい社会じゃないね
人間の世界は、弱肉強食ではありません!
助け合う世界です
歌は神聖なるものとは言ったものの
😁 真面目に格好付けて話してみても
よくよく考えてみたら、イタリアの歌詞は、いつも愛だの恋だの、3次元的な人間の欲求を歌っているものばかり
何が神聖じゃぁ 😆😆😆
とも思ってしまう
何が神の域じゃ!ともつい思ってしまいました 😅😅😅😅
先ほどの投稿で、なんとなく真面目に格好よく決まった感ありましたが
直ぐに三枚目をこうして演じようとしてしまうのは
いつも、皆さんを笑わして、深刻な雰囲気ばかりではなく、楽しい空気にしたいと、長年そう演じてきた、そういう癖が染み付いてしまいましたあ~~
ごめん!
Ciao~
歌は神聖なるもの
本当は、なんでもそうなのですが
歌に限った事ではないのですが
でも歌は如実にそれが現れると思います
オープンハートで歌い
愛を込めて歌う喉のチャクラは自然と開かれます
呼吸は深く、呼吸を自由自在に操りながら
呼気に声を乗せて歌います
呼気を深く扱うところからしても、神聖な面持ちになります
力で歌うものではなく
きちんと理に叶った出し方に基づいて行っていたら
恐らく、自然が出している波動と共鳴し
内側から溢れ出てくる精神と肉体が一致し、歓喜の如く、その声が天を舞って鳴り響く
そう考えると、歌うという行為は
何にも増して、神に近く、神聖な行為となります
自分のペースで進みましょ
人によってそれぞれだと思います
夢を諦めない方がいい年齢とか、夢を諦めない方がいい人
なかには逆に、今までの夢を諦めた方が、もっといい物が手に入る人もいると思うので
夢を諦める、諦めない、それも自分で考えるべきです
ジャンルと年齢によっては、さっさと今までの事は手放した方が幸せになれる人もいます
それは、ポジティブな諦めです
諦めるという言葉がネガティブにしか聞こえない人は、諦めなければいいのですが
人に強要するものではありません
もうある程度の年齢になったら、必ずしも諦めるな、諦めるなと、励まし続ける事ばかりが、思いやりではないことも知って欲しいと思う時があります
人生にはその人のタイミングというものがあって
そのタイミングを逸してしまったら、もう二度と来ないチャンス、どんなに頑張っても、もう乗り切れないという事もあります
そういう時は、パーっとそれら一切の事から離れた方がいい事もあります
日常のちょっとした事でも、あまり上手く行かない事は、ある程度取り組んだら、いつも私はほったらかしています
2、3ヶ月たって、またやってみたら、急に上手く行きだす、ということはざらにあります
人生の大きな決め事や問題だったとしても
あまりに叶わない夢は、パッと手放したらどうだろう?
それに変わって、別の何か、想像以上の何か素敵な物が、手に入るのではないだろうか?
そう思います
本当に挫折してしまった時には、そっとしておいて欲しい気がしませんか?
バカにしたり、なんだかだらしがないとか
なんか、責めるような目で見るのではなく
励ましたいなら、きちんと綺麗な言葉で綺麗な声で、優しい声をかけてあげたらいいのに、上手く行っていない今のその人にむかって
なにやってんだ?みたいな、だからお前はダメなんだみたいな、ののしるような声をかけるなら、それは励ましではなくて、自分の欲求の押し付けだと思います
私はそういう人から、離れる事ができて
とても幸せになれました
なんかだらしがないんだよ、とか、そんな風じゃなくて
もっとかけてあげる言葉があるように思います
期待していたのに、それが裏切られたとなったときの、自分のイライラとか、蔑むような雰囲気を醸し出すあの感じ、て、たまりません。経験があります
人にあまりに期待し過ぎる、て、時に人を押し潰してしまう
最近やっと、心が安らぎました
私は歌がただ好きなだけで、それでもいろんな経験を経て今日まできました
今日も発声練習から丁寧に練習ができ、なんとも心地の良い安堵感です
私のできる範囲、知っている範囲で、歌の事を教授していこうと思います
今後、どれくらいの方に支持されるのかはわかりませんが
少数でも、信頼され、求められるなら
しっかりと、これまでの道の先を進んで参ろうと思っています
決してネガティブな諦めではないと自分ではそう思っています
私は、どうにも叶わなかった夢を、もうそろそろ本気で手放したいと思っています
これ以上それに執着しても、そんなにいいことにはならないと感じています
いい諦め方をしたいなとおもっているんです
なんとも、心地がいいように感じるんです
この『諦める』という、この響き
なんとも、今の私には、心がほっとする響きに感じます
SNSについて考える
今のうちから、YouTubeの登録人数を見えないようにしようかな?どうしようかな?
と、悩みます
YouTube の登録人数で、承認欲求がモチベーションになるような人生は不幸のように思います
Facebookをずーっと前に辞めた事、あれは大正解だったと思っています
いつもいつも人が気になる人生は、不幸と感じます
YouTubeの登録人数を増やすために頑張る!では、きっとメンタルを殺られる日がきます
好きな事が、ずっと好きでいられるように考えたいなと思います
登録人数を増やすために頑張る歌なんて、どうなんだろう?
承認欲求を満たす人生なんて、どうなんだろう?
それよりも、自分が向上心を持って
何も気にせず、本当に自由に楽しんで歌っていて、その事から、誰かを笑顔に代えられる人生なら、とても幸せだと思います
また私の声を聴きたいなと思う人に、そっと、登録ボタンを押してもらえたなら
それが本物だと思います
数字として、はっきりしてしまうことでは
やはり競ってしまいます
崇高な歌が歌いたいなら、そんな数字の為に歌わない事
どんなに気にしないとは言っても気になります
競う場に身を置きたくないなと思います
自分が競わなくても、勝手に競わせられてたりして、何かの拍子にまたそれが話題の種にされた時には、私は傷つきますし
なので、早いうちから、YouTube を行う目的意志を、自分の中ではっきりさせておこうと思います
しかし、これまた登録人数をoffにする操作がわからなーい
スッとはできそうにありません😅
でも、SNSの恐ろしさを思うと、早めに手を打ちたいと思います
これから入会をお考えの方にお願いしたいこと
本当に最近、時折思う事があります
教える側としてもそれなりに構えがあって、準備や計画をしています
本当に求めてる人は、自分で連絡や問い合わせをしてこられると思いますので、私の方からお誘いをしたり、ましてや、レッスンをさせてください、というような、こちらからお願いをしてレッスンをさせてもらうような事は致しません
また、専門が違う時があります
例えばバロック音楽の分野や、そのパートの声の方は、私の専門ではありません
バロック音楽を求められる人、また、将来これはバロックへ進まれるだろうと予測が最初にできる場合いは、やはりお受けしないことにします
バロック音楽も素敵ですよ
少しかじった事があるので、その世界もいいなあと思った事はあります
音楽様式も、バロック特有の決まり事があります
なので、バロック音楽はバロックを専門にされておられる先生を探される事を最初からはっきりとさせておこうと思います
私はイタリアものが主流でオペラの作品を研究しております
主に、ベルカント唱法の声のトレーナーとしてこのサロンを開いております
まだ習い始めて1年も経たずして、直ぐに長いお休みを申し出るとか、月二回のレッスンさえ予定が組めないとか、そういう事ではお受けできません
やはり個人レッスンは、お互いの信頼関係ができてくるまでは、きっちりと最低限決められている回数や、お月謝のお支払い期限は、守って頂ける方にいらしてもらいたいと思います
また初回のレッスンの日時の変更も、なるべく、できるだけないようにお願いしたいと思います