お腹イターイ(>_<)
今日は、朝から晩まで生徒さん達と、息吸って、吐いてを繰り返してたから、空気がお腹に溜まりすぎたんだわ。
お知らせ
なんだか心が洗濯されました。どーでも良くなっちゃったあ。『ほわーん』
こないだね、ブログを投稿したけど、削除しちゃった。
なぜならね、私にはとっても沢山の友達、仲間がいてね。
私を支えてくれる人が沢山いるの。
その投稿についていろんな人とお話してたらね、なんか日常のごちゃごちゃした事はどうでも良くなっちゃって。
なんか吹っ切れちゃったの。心を洗濯した感じ。
やっぱり私には本物のエンジェルが付いてるんだわ。友達を介して、そんな深刻な気持ちにならなくていいですよーーー。て、エンジェルが言ってきた。
私が気になってた事、て、とーっても小さな事をおおげさに感じてたんだなあ。私ってバカだわ。
それよりもね、いろいろあってもね、それにも増して楽しい事がいっぱいあるのよ。
どうせならそっちの方を話してる方が気分がいいし。
そしたら、なんかごちゃごちゃ言ってる自分が嫌になったから、ごちゃごちゃしたブログはゴミ箱へポーーーい!!てしたくなったのよ。
楽屋話 「自分を悲しませる人や、不愉快な気分にさせられる人の側には極力近づかない。」
私、昨日は
楽屋でずぅーっとニコニコしてたみたい。
楽屋では、歌う前の儀式と言うか、体操したり呼吸の練習したり、楽譜も見直したいし、いろいろすることがあるの。声のチェックや、それから、いらぬ情報を得て、邪念とかあんまり持ちたくないので、お喋りとかあんまりしないのですが、昨日は、終始ニコニコしてたみたい。
話かけられれば、にこにこ対応。別に普通にいつもそうだけど、昨日同じ楽屋の共演者さんから、「いつもにこにこしてるのね。そう言う人には、変な人に取りつかれたりしないわよ!」て、何気に言われました。
そう言う時なんだか私の廻りには時々、天使がいるのかなあ?と思ってしまうときがあります。
生活していれば、どうしてもいらぬ邪念て、うっかり着いてしまうときがあるんですが、なんかそう言う何気ない、意味のあるようなないような言葉に救われたりしています。
舞台に立つとき、酷くナーバスになりやすいものですし。
人から愛され、幸せな人、人から大切にされる人てどんな人?
笑顔の絶えない人かな?それだけじゃないけど、先ずはそれね。笑顔。大切ね。
次に向かいます。
昨日は、↑に出ておりました。
応援ありがとうございました。
明日からは、また次へ向かわなくてはなりません。
子供の頃からずっと歌の人生を歩んでおります。
楽屋でも、歌ばっかりお勉強してきたでしょう?て、先輩から言われました。「はい。その通りです。」と応えました。
ほんとにそうです。歌を通じていろーんな事を沢山経験しております。人生の勉強をさせてもらってます。
何があっても歌わねばならない。舞台上で息ができなくなるほど、ビックリしてしまうことや、おもいもよらない事が時々起こります。それでも、歌わねばならないし、悲しいときも、辛い時も、不安な時も、でもそんな中でも、歌は、最終的に喜びを与えてくれます。
これからは、もっと楽しい事が起きると思います。私の歌の人生は、とっても喜びに満ちていて、これからも素晴らしい人生になると信じています
今日は発声のお話
最近とても感じる事は、声についてのアプローチの仕方は、受け取る側の理解力や、精神的なものによって、それぞれだと思います。なので、声についてのアプローチの仕方は1つではないと思いますが、私の考え方は次の通りです。
特にソプラノは、鼻腔に声を上手く当てる事ができて、明るく響かせたいのですが、その時に単純に、歯を見せてとか、笑った顔でとよく表現されますが、私はそれが、結果的に自然とそういう状態になってもらいたいと考えています。
先に結果(答え)を教えてしまうと、結局、歯を見せる為の、または笑った顔を作る為の余分な力が加わるような気がします。
先ずは息が身体にしっかり入り、喉を開ける事、喉を開ける事は、感覚的に喉の奥を意識する作業になると思います。
そしてブレスは、ヨガや、禅に近いゆっくりとした練習が毎日必要です。
息の道は、やはり後ろを通した方が良いと思いますので、後ろの空間を意識する事になるでしょう。その時に、声は息と共に後ろから鼻腔へ向けて、声を当てる事が結果的に、 鼻腔できちんと声がなる状態だと思います。
ポイントは、『息と共に!』
その結果、顔の筋肉は、よく言われる少し微笑んだような…、ほっぺたの筋肉が上へ引き上げられたような…、前歯がチラッと見えるような…、状態に自然となるとおもいます。
するとこれも結果的に!
出て来る声は、明るく鼻腔で鳴っている、響きのある豊かな声となるでしょう。
よくありがちな事ですが、結果の答えを先に教えてしまい、息の動きも教えてはいるけれども伴わず、受ける生徒の側は、まるでスタンプを張り付けるように、発声の為の顔を作ってしまい、息の方向を全く考えない人もいます。顔を作る事に必死になり過ぎて、大抵やり過ぎ、不自然、恐ろしい顔に仕上がっています。見た目も不自然な上に、声も作られた声になってしまってるような気がします。
顔の表面上の事は、一番最後の作業ではないでしょうか?と私は考えています。
先ずは、基本的な身体の使い方、それだけでも普通にできるようになるまでには、時間がかかります。
そして、全てはブレス(息)、息と共に在ること、それが一番のポイントであることを、身体と脳裏に徹底的に植え付け、全身の動きと息、全てが繋がって、顔表面上の事は、結果的にそうなっていることを、受講者側に確認させるくらいが、ちょうどよくできるのではないか???と考えています。
しかしながら、冒頭で申しましたように、発声法は受講者の身体の状態、理解力、精神的な事で、アプローチの仕方はさまざまだと思います。
講師側も教えるとなったら、常に相手をよく観察し、根気強く、研究熱心である事が、講師としての心構えとなります。また、生徒に対する思いやりと、人としての愛情が何かのアクシデントにより、その生徒に対して持てなくなった場合には、教えられなくなる事も、あると思います。
つまり、講師と生徒の間の信頼関係が重要になります。
習う側も、その先生を信じて、辛抱強く、じっくりと構え、こつこつと、ゆっくり進んでいく努力が必要です。
肩凝りがない
この写真、神戸だけど、イタリアみたい。
「イタリアよかったー」て生徒さんに話したら、「そうですか?それは良かった。ギャップがひどくないですか?」
「あー、それはしゃーない」
「言ってもしゃーないですな!」
「そうそう。(笑)」
こんな会話でしたが、実際、差ほどギャップを感じず今まで通り仕事。むしろ、今までよりいいかも?くらい。
イタリア旅行3日目から、今日までずーっと、肩凝りがない。
今までよっぽど身体に力が入っていたのね。何がそんなにストレスだったんだろう?
多分、自分のやりたい事から遠ざかった事を一生懸命にやってたんだと思う。
今は、これからやりたい事の方向へ目が向いたので、いい気持ちなんだと思う。
でもこれまでの歩みも私には必要な事でした。
これからは、元々描いていた夢の方向をしっかり向きながら、先ずは今やらねばならない現実をきちんとまた一生懸命にやっていこうと思います。
そう思えたら、何もかも思うようにこなせなかった過去も忘れていいと思えるようになりました。残念なままの思い出は消えました。クリアしました。
また明日から新しいスタートです。
明日からが、きっと、本当の自分になるんじゃないかと思えてきました。
今の教える仕事も、舞台の仕事も、本当のプロとして自信を持ってやっていくんだと思います。