この写真の手前にいる白髪(はくはつ)の男性は、在原先生といいます。
この方、凄い人なんです。
世界でも、ほんとのベルカント歌いは少なくなりました。昔はたくさんいましたが、今では、イタリアでも、ほんとにベルカントで歌っている歌手はあまりいません。でもこの先生は歌手にはなりませんでしたが、知る人ぞ知る世界が認めるボイストレーナーなんです。この先生は、日本の有名な歌手は、ほとんど間違っているし、大学の先生の中に、きちんとしたベルカントを教えている先生は、ほとんどいないといいます。実際、私もそうおもったから、大学で勉強したというより、大学を出てから、歌の先生ではなく、オペラの伴奏ピアニストに歌を教わりました。オペラの伴奏ピアニストの中には、世界の歌手に付いて回って、ちゃんとしたベルカントを知っている人がまれにいるので、私はそういう人に習いました。おかげで、大学の先生は、私の歌を誉めてくださるけれど、この在原先生はまだまだ足りてない、できてないて言って、私をしごいてくれてます。実際、できてない部分があります。頭でわかっていて、自分はいろいろ知識もあって、できてるつもりになっていたけれど、
気がつかぬうちに、自分の悪い癖が出てきてしまってて、今、絶対間違わないように、身体に覚え込ませる訓練をしています。優しい先生だけど、誉めてくれない。
いつかこの先生が、私の歌を認めてくれるようになったら、私は、世界でも少ない、ベルカント歌いになるのかなあ?と思うくらい、凄い先生です。私は絶対、在原先生をうなずかせようと、今頑張っています。
そして将来は、プロの歌手も、私を信頼して来てくれるような、ベルカントのボイストレーナーになろうと思います。日本中を講演して廻って、世界でも少ないほんとのベルカントを語れる、そういう人になりたいです。私は20代の頃、イタリアへ留学しました。でもイタリアで病気になって、半年で帰ってきました。それからチャンスがないんです。
私の生徒さんは、日本を代表するオペラ歌手より、千賀先生の歌の方が素敵!と言ってくれます。どうしてあの人が日本を代表するオペラ歌手なの?と言っています。私は、知らない、て言ってます。実際、在原先生も日本の有名な歌手を認めていません。
先日、在原先生の公開レッスンで歌って、私の生徒さんも何人か見にきていました。私は在原先生からしごかれましたが、それでも私の生徒さんは、千賀先生の歌はやっぱり素敵…。といって、あくまでも私を信じようとする健気な人達を、絶対裏切らないように、知る人ぞ知るほんものの人になろうと思います。肩書きなんて、あてにならないのだと、在原先生を見てそう思います。でも実際、在原先生の経歴は凄いです。でも、私だって…、て思います。世界でも数少ない、ベルカント歌いになりたいです。知る人ぞ知る、日本のプロの歌手が私を信頼して来てくれるようなベルカントのボイストレーナーになりたいです。この写真の仲間は、唯一、本音で声について語り合える、楽しい素敵な歌仲間です。私、楽しくて幸せ、ていうのが全面的に出てるでしょう?この日、私は先生と同じ、120グラムのパスタを食べました。大盛りでしたが、ペロッと食べました。周りの人からは、柄じゃないでしょ!て、突っ込まれましたが、歌ったからお腹が空いていて、別に普通に食べました。
美味しかった。
在原先生は優しくて、品があって、かっこいい先生です。
因みに、私のこの『ベルカントで歌いましょう、声楽教室』は、始めから、日本の大学にまともな先生はいないから、大学で困ったら、私の所へ来なさい、私の方がまだましな事を教えられるという、鼻につくほど、自信満々に開いた教室だったの。
やっぱり自分も、苦労してたんだと思います。
自分を今よりもっと信じてたし。可能性をいくらでも秘めていると思っていた自分にある日、疲れて折れた。でも今、私は自分に見あった事をしていて、だいぶ楽になって、幸せになりましたし、自分の可能性を諦めていないです。
こんなに挫折を味わって、道に迷って、葛藤して、こんなストレスだらけの人生を歩む事になろうとは、でも今は幸せになりました。独身だけど、質のいい歌仲間が沢山いて、質のいい仕事仲間も沢山いて、生徒さん達は慕ってくれていて、これほど、幸せな事はありません。ほどよく、本番もあり、CDデビューもしました。全国のCD屋さんに私のCDが売ってます。