本当の意味で喉が開いていたら

 

いつでも歌える

 

自転車や車の運転の仕方を忘れないのと同じように

 

一度正しく身についていれば、少々歌わなかった期間があったとしても忘れない

 

『歌う』はこうだ!と身体に覚え込ませるまで訓練をしていれば、忘れて歌えなくなることはない

 

元々、オペラ歌手になろうとする者には

 

先天的に声を持って産まれてきているはずだから

 

後は身体が健康でさえあれば歌える

 

だから如何に正しく理にかなったメカニックを何年もかけてゆっくり少しずつ身体に染み込ませていくように歌い続ける

 

一度染み込んだら忘れない

 

むしろ、1年くらいの休業なら声帯はもちろんのこと、心身共に休まって

 

前よりも歌えるように思う

 

何を持っていい声というかは定かではないけれども

 

会う先生、どの先生も、私に伝えていた事は

 

「佳い歌を歌いなさい」でした

 

また子供の頃、まだ幼稚園生だった私の手をひいて、ピアノの音楽会に連れて行ってくれたピアノの先生も

 

私の中にある何かを感じていたからか、

 

当時若かった先生なのに、自分の友人とではなく

 

幼稚園生のまだ赤ちゃんぽさが残ってるような子供の私の手をひいて、連れて行ってくれた音楽会

 

私の中に、大人達がどうかしたいと思ってくれるような、何かがあったのだと思う

 

そして年を重ねた今の自分のこの1年は、多くの事に刺激を受けて、何かを学んでいたんだとおもう

 

去年の7月から、私はとっても大変だったけれども

 

素敵な時間を過ごしていたのだと思う

 

音楽から離れて、自分を内省して自分の心を磨いた時間

 

凝り固まった自分の概念という殻の中に閉じこもっていないで

 

新しい場所へ何か、冒険するかのように、来てしまって

 

そして、やはり感じるのは、音楽は心を癒すし、心を元気にするものだと改めて芸術の素晴らしさを思う

 

これからは、自分が歌いたいと思う歌を歌い、自分のスタイルで音楽家をやっていきたいとも思う

 

歌う事は祈りのよう

 

人の幸せを祈りながら、人を癒せるように歌いたい

 

だから、技術は必須で、絶対に技術なしでは、伝えたい本当の心の事が伝えられない

 

技術を持って、本当に祈りのように歌いたい

 

そういう仕事を本当はしたいと思うのに…

 

歌う事は、祈りと同じ

 

人の幸せを祈り、その念を声に載せて歌えたなら

 

先ずは、それを妹の結婚式で来月試し、示そうと思う

 

神聖なるものとして捧げたい