時々、ここのブログで、私の知っている発声法は、世界に通じるものですよ、と、自分で自負をして書いています
ですが、私の生徒さんたちは、あんまりよくわからなかったようです
レッスンの中で、ずーっと言い続けて来たことを、今初めて聞いたかのように聞いている感じがします
どう言ったところが世界へ通じる歌い方なのですか?
というお話を書こうと思いましたが
なんだか今、面倒な気分になってきました
レッスンの中で、解る方に解って頂いて受け止めてくださればそれで良い事です
少なくとも腹式呼吸をして支えるとか、喉を開けるとか
そんな話ではなく、それは歌う上での、あまりの当たり前の基本であって
もっと他にありますね
その技法は、私は世の中にデビューした頃から、その歌い方で、普通に、それも当たり前のようにやっている事です
ですが、やるのとやらないのとでは全然違うと思っておりますし
そう歌う事を知識として知らない歌手も多いことです
きちんと理論的に皆さんに、特に10年以上も習ってきた方には、全員にその歌い方を何度もお伝えしていると思います
ですが、いまいちその重要性と価値を感じてもらえないようなので
音楽大学という場で、本当は専門家さん達にこそお伝えしたかったなと思いますが
音楽大学の講師はなかなか募集はしておりませんし
募集をしていたとしても、しがらみ等々、いろんな事情があり、採用されることは難しそうです
このような個人で開いてやっているような小さな教室で
その歌い方を教わる事ができるとは、誰も思わない
音楽の好きな音楽大学を出たお嬢さんが・・・
20代からやってますので、、、
今は50歳、 、初老でしょうか?
何か嬉しそうにやってる、くらいにしか思わないと思います
私の価値は、あって、ないようなものだ、と、近年とてもそれが気になっていました
それなら、何処かの一般の会社の事務員さんをやっていた方が
心が穏やかな気がしないでもないなとも思った次第です
そんな思いもあって、この数年間の内に、いろいろと新しい空気感の中に飛び込んでいきました
失敗を重ねて、転々としながらも根気強く
書類をその度に揃え、それもなかなかに大変な事でして
そこは無感情にして、一回一回、書類を作りあげ、今もそれは続いています
wワークで、パートアルバイトで働くだけでも一難去ってまた一難
恐らく、もうまもなく、今後の一生の生き方が決まると感じます
私の中でも、生き方については、はっきりしております。
現在、ここの教室サロンでは、専門家に近い志のある方々に向けて募集しております
人数を集めてそれで生きて行く事は無理だと思っていますので
Wワークで、今後の世の中の動きも予想しながら、新しいスタイルでの生き方を目指しております
パンデミック中の真っ只中でも、新しく習いたい方は実は沢山おられましたが、ほとんどお断りしておりました
パンデミック中は、やはり歌う事は危険な行為だとも思っておりましたし
私もそれを機に、自分の生き方を変えたいと真剣に願った事でしたので、専門家さん以外の新規生はお断りしておりました
それには長年、染み着いた自分の思い込みや、概念までも変えて行く必要があったので
とても苦労はしておりますが、新しい挑戦、新しい境地を楽しんでもおります
みんなが楽しくなる方法を、と、思って長年、趣味の方々の考え方に合わせたやり方で生きてきましたが
私にとっては、それはうわべでの喜びであって、教える上での、もっと深い喜びを知りたいと思うようになりました
やはり、50歳を手前に、自分の本当の価値や、存在する意義を今いちど、自分で見直したいと、それは、魂からの叫びのようにも感じておりました
私自身の喜びと、皆さんの喜びとが相まって、1人でも共に共有できる方がおられたらと、今も願って止みません
それは、やはりなかなか人口がいるわけでもなく
1人出会えるか、出会えないか、のレベルの話です
これは大学の教授をされている先生でも同じ事だと思います
一生の内で、1人でも、世界の中で価値を持って歌える方に出会えたなら、講師冥利につきると思います
私は、今から自分がオペラの現場に戻ってどうのこうのとは思いません
また私という人間としての、本質的な部分も含めて、それをバリバリとやるタイプではなかったと思っております
しかし、歌う事の抜本的な事をはじめ、本質的な事に関しては
ずっと、職人のように、コツコツと磨き上げてきた技術で、劣る事はないと思っております
私は自分の事を、声の職人だと思っています
その様なことでこれからも、神戸という街で、小さな歌の集いの場として、開いて参ります
やはり、私もそれなりに歌の人生を歩んで来た事です
その時代のままの考え方だけで、ここから先を歩むには、あまりにも自分の歌の人生としては残念に思いました
現在、ご在籍中の生徒の方々もおられまして、このような私の勝手な思いで教室の規模を縮小してしまい、行く末を案じてくださっていますことに、誠に申し訳なく思いながらも、心から感謝致しております
形は変われど、絶やさず続けて参ります
今後とも宜しくお願い申し上げます
世界へ通じる発声法で今後の方針
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