プラトンと言えば、古代ギリシャを代表する哲学者
古代ギリシャの哲学者といえば、ソクラテス、プラトン、アリストテレスが代表的です
名前だけはよく知っています
特に教育については、三人各々特徴があるようで、ソクラテスは実際に実行された教育そのもので、プラトンは頭の中で構想を練った教育論、即ち教育に対する思想があるようです
人間の外側から知識を強制的に押し付けて行く試みを、プラトンは断じて「教育」だとは思わなかったようで
プラトンがこれぞ本物の教育と思っていた物はなんだったのか
実は書物からきちんと理解するには少々難しく思います
安易な事を言う訳にはいきません
プラトンは主に数学の教育を重要視していた人でした
プラトンの数学教育の観点に大きく影響されていたのが、ピタゴラスのようです
ですが数学はある程度その難問を理解し、解くには幼すぎて難しくなってしまう年齢の子供には音楽と体育は欠かせないと思想していました
先ず人間の源、人間の人格を形成する魂の成長が必要と思想
それには、音楽と体育が最適だと説いています
体育は、健康や、体力作りの面での教育ではなく
気概的な部分の成長のために体育で魂の成長を育み
気概的(やってやるぞとか、負けないぞという気骨な強い精神や心、志を言う)な部分が成長し、突出してくると、ただの粗野で乱暴な人間になるので
それを抑え、心を落ち着かせ安定を図るために音楽の教育が不可欠と説いています
気概的な部分と理知的な部分のバランスが取れ調和して人格が育つというもの
プラトンの教育論哲学はそういうものでしたので
近代、小学校や中学校の教科から音楽は無駄とし、削除する傾向になったのは
あまりにも無知な人間の考えと思います
何故そのような意見が生まれたのか、私は想像が付きます
人間を正しく活性化させないためのある一部の支配者の企みなのだろうと思います
音楽の教育は、愛を育むのにとても大切なもの
音楽そのものは、神の領域のもの、しかしそれを扱う人間が邪悪なため
音楽によって苦しめられる人間も生まれてくる事態
本当は人間の心を癒し、豊かさを与えてくれるはずの音楽に挫折し、苦しみ破滅に向かう人がいる
ここで言うのが、ピアニストのシーモアバーンスタイン先生
コンクールで一人だけを一番に選ぶのを辞めようという話
世界最高峰のコンクールのファイナリストに残った六人は
六人が六人共に一番も、そう悪くないよ、と言っています
ある年に一位となった演奏者は三年間のツワーに引きづり回され遣われ
次の一位がまた新たに生まれ、前の年の一位は主要なオーケストラ団体との共演も断たれ、そもそも世界にそう数のないコンサートの数もパタッと減って職を失くすという悲劇にどうしてジャッジメントは追い込むのかと
一位を決めるなんて、もう誰を一位にして良いかもわからないほどジャッジメントは我を忘れている
一位を決めて、他の残った五人の何が悪いの?と
なんともnonsenseナンセンスだと話しておられます
なので、本当の幸せを手にしたいなら、その成功したいという思いの執着を手放しなさいと、シーモアバーンスタインさんの話に戻ってしまうのは
私も音楽で自分の人格が造られてきた事を最近自覚したからです
音楽家もある意味哲学者です
人間達よ、目覚めなさい、とよく耳にするのはこういう事です
私達は、何かに支配され間違った道徳や概念、理念を 洗脳されてきたからです
音楽教育の有無についてもそうで
コンクールの在り方一つとってもそうですので
よく考えれば気がつき、世界がひっくりかえるような事が
これからどんどんと起こるのだと思います
本来の人間のあるべき姿に戻るのだと思います
プラトンの時代音楽は教育に必須重要科目
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