今日は、レッスンをしながらふと思う事がありました

自分にはなりたかったもの、こうあるべきもの、と言うものがありました

歌への関わり方は、いろんなスタイルがあると思います

プロデューサーとしての関わり方もありますし

講師としての関わり方もありますし

声楽家専門の通訳者も、声楽の事を深く知らなかったら

通訳はできませんし…

ただ、通訳だけを専門としている職業はあるのでしょうか?

他には、批評家等でしょうか?

声楽科を経て、その後の道は、いろいろとあります

声楽の楽曲分析の専門家や、歌詞の訳詞家等

他にはどのような関わり方があるのでしょうか?

私は元々目的としていたものがあったので

それにならない限りは、自分には価値がないと思っていましたし

なんとなく、たんなる街の歌の先生では、甘く見られたり、演奏家が特別偉く立派で、私のような仕事をしている者は、なんとなくやっぱり甘く低く見られるような、そんな気がしていたので

自分には価値がないような気がしていました

そう思ったら、そういう自分でいる事を嫌い、自分で自分が愛せないでいました

しかし、よくよく考えてみたら、いろんな経験をしてきているうちに気がついたのですが、やはりそんな事はないなという事です

私の師匠の事を思い返してみても

自分のやってきた事を思い返してみても

いかに良い勉強をしてきたか、それがものを言うと思います

どんな人に出会ってきて、どんな勉強をしてきたのか

肌で感じてきた体験は如何なるものであったか

それが人生の一番の醍醐味とでも言うのでしょうか?

それを考えたら、やはり私のやってきた勉強や、体験や、経験は

その道で生きて行くという定めを持って産まれ、覚悟してそれに徹した生き方をしなかったら

体験や、経験できなかったような勉強をしてきていますので

やはり、きちんと意味があり、深さのある貴重な勉強をしてきています

例え、大半が趣味の方を対象にしているとはいえ

内容としては、そんなに軽々しい事をやっているつもりはありませんし、そういう事は致しません

ただ、思ったのは、自分の持っている知識や経験を

ただお遊び目的の人の為だけに、留めて置くには少しばかし、私の本領としては、余ってしまう

私も、自分で残念だなと思う事は、正直に否めませんし、私の培った知識を、本当に必要とする人にお届けできる場にいない事は、ある意味自分の人生に虚しさのようなものを覚えます

ですが、考え方はいろいろとあります

私は、常に自由で居たいと思いますし

趣味で声楽を楽しみたい方々にこそ

真の声楽の楽しみ方をお伝えし、一般の方々の耳を鍛え育てる事は、これから良い声楽家を生み出し育てて行く事に、社会的にも、結果的に、文化の面で貢献している事にもなりますし、浅い知識ではできないことです

また、人に真の歌う事の喜びを与え、その方の人生に本当の潤いを与えているのであれば

何も、自分に価値がないとは言い切れない事も、また否めません

ですが、つい昨日までは

私の知識は、声楽愛好家さんの万人に通じるものではありながら

ただそれだけで終わってしまうのなら

私が培った知識や経験や体験は、自分の思い出とし、自分だけの喜びとして、私の心の宝箱に大切に保管しておこうかなと考えておりました

そして、なんの不足感を感じる事のない、自分にもできる範囲内の世界で生きた方が、自分は平穏で幸せなのか?とも思いました

ですが!それもまた、体験してみて感じ入る事がありまして

何事も経験しないと、わからないものだなと思いました