自分は日本人

日本人にとって、オペラを歌うというのは

相当ふりです

恐らく、身体の作りがオペラを歌うようにはできてないからです

それでも、駆使してなるべく近づこうとする

評価されたいと思う

ある程度の年齢がきて、人から評価されたいばかりなんて、本当はいやしいと思う

評価されたい、よりも、もっと

精神性のある発信をしたらどうかとも思う

でも、私はまだ、つい昨日までそんな段階には居なかった

技術もろくにないのに

私の歌で誰かを癒そうとか

そういう立場と、そういう技術はないと思った

だけれども、いよいよ私も

まだまだ拙い歌ではあるけれども、世界の人に向けて

メッセージ性を持って、歌いたいと思う歌があります

やはりこれからの時代はそういう時代

その人の人間性というものがとても問われる時代になるみたい

例えば音楽大学を卒業した、だから何?

てなところ

私は、メトロポリタン劇場で歌った事があります

だから何?

どこそこコンクールで1位です

たがら何?

てなところ

いろんな肩書きを持っている事はとても大切なことです

だけれども、人にやはり心を伝えようと思ったら

それなりの技術はないと伝わらないものです

なので、先ず自分は何者でもないけれども

いかほどのものを持っているのかは知りたいとは思います

なので、評価が欲しい

それくらい貪欲で、それくらいいやしく情熱がなかったら

先ず努力をしないよね

綺麗ごとばかり、御託を並べても

ある程度の競争心や、何処までも求めようとする貪欲さがなかったら

努力をしないと思う

私はやっぱり大学を卒業した瞬間から、毎日、いろんな門を叩いたし

多くの事に挑戦して、大失敗もしています

何百時間も集中した勉強の時間を持った

たった独りになった時にも

練習と、研究をしてきたんだよね

いよいよ、人の為にも歌う

それを目指してもいいのではないかな?と

思うようになってきました

やっとそう思えるようになった

それは、私の場合いはある程度の評価を確信したからだけれども

もしも、人からの評価がなかったとしても

自分が自分を信じるならば

何か信念によって突き動かされるものがあるのなら

堂々と人前に出て、人へ向かってメッセージ性を持って演奏する事は素晴らしい事だとも思います

これから若い人達を教育するに当たって

あんまり曲がった方には行って欲しくないとは思うけれども

若いなら、少しくらいの競争心や

誰かより劣っている、足りない自分を知って『なにくそ』、と思う気持ちも少しはあった方がいいと思う

私も今だそれをしていて、恥ずかしく思いますが

自分はまだまだ劣っているから

研究を続けています

なにくそとも思うんです

その努力の成果はどうなんだろう?と思うのは正当だと思います

その目安に人からの評価は欲しいと思うのは

そんなにおかしな事ではない

技術も持っていないのに

あんまり綺麗ごとの御託を言うのは好きではない

時に、挑んで行く心も必要だと思います

ただ、挑むと力みます

でも、力みながらも基本はきちんとできているのか、私の歌を人はどう聴くのか、どうなんだ?と思う気持ちは

勉強をしてる身ならあってもいいと思う

それには、年齢は関係ありません

その人の段階によると思います

元々音楽を奏でる事は、競争することではないし

評価を求めて奏でるものではないので

声の作り方も、ある程度解ってきたのであれば

これからは、精神性のある歌を誰かの為に歌いたいと

やっと思えるようになってきました

今までの技術では、おこがまし過ぎて、

誰かの為に歌います等とは言えなかった

でも、いつも、もしも、私が夢中に情熱をかけて歌う姿に

何か感じてくれるなら

それは結果なので、嬉しいと思いながら歌ってはいました

なので、時々千賀さんの歌に癒されました等と言ってもらえるときには、

ホッとする気がします

また、芸術家は、大学を出れば、世の中から

拒絶の連続を経験します

それは、その人のせいではない

元々別の配役が決まっているオーディションやスポンサーの都合

こちらにはよくわからない、あらゆる社会的な物を乗り越えないといけない事が多い

それでも続ける

大抵、芸術は、常識を超えたものです

常に情熱的であるべきです

単に夢を追うのではなく、情熱的にいれば、運命と出会います

夢を追う事は、運命に近づいて行く事です

それは情熱のある者達だけが手にするものです