歌を歌うのに
パンと弾けたような
陶酔していくような
夢中になる
無邪気さ
が、ないようでは
歌は歌えない
もちろん、大人のエレガントさも必要だけど
passione と言って
湧き出る情熱
感情をあらわにしていくような
子供じみた部分もないと
歌えないなあ
とにかく、日本人のままでいたのでは声は全然違う
日本人ではない何かにならねば
声が出てこない
テクニックが先か
感情の流出が先か
私はどちらかと言うと
感情の流出が先の方が
魅力ある歌を歌う気がする
でも、テクニックがない歌は
あまりにも粗雑でお金を取るほどの歌は歌えない
イタリア人を知らなくても
イタリア語がわからなくても
イタリアを知らなくても
この人からは、何かを感じる
感じさせるものがある
そう思わせないと
テクニックをどんなに磨いても
あんまり素敵にはならない気がする
日本人とヨーロッパ人はとにかく違う
全然違う
でも日本人だって、心の内側には
燃えるような
命がけで恋をしたり
内に秘めたものを持ってる
秘めてないであらわに
出してもらわないと
歌にならないよ
みんな変なところ、賢すぎる
イタリア人、て、こんな感じよね
とか、見よう見まねで遊んでみる
それが先ずはいるよね
子供の頃
さんざんそれをやってて
大人的な知識が入ってきて
それを全く否定して
その心を忘れてしまったら
歌えなくなった
思いだせー
と、言わんばかりに
パンチを喰わされながら
やっと出てくる人もいるけれど
やっぱり
大人になっても
無邪気さ
という感覚を忘れてしまうと
少なくとも、歌は歌えなくなるんだなあ
Belcanto 無邪気さ
« Belcanto 神聖さ | Belcanto リサイタルコンサートへ向けて 毎日毎日練習の積み重ね » |