さあ出すぞー、て言う時の構えが格好いいねぇ。
歌をやっててよかったなあと思う。
一つでもちゃんとしたものを知ってる、て、心が豊かになる。
私は、イタリアの美術館や教会で沢山の壁画や宗教画を見て、これまた感動が大きく。
音楽と絵と、感動とが結ばれる時、ものすごくいい声が出る時あります。
合唱でモーツァルトのレクイエムを歌っていたとき、イタリアで見た天井の絵とか、壁画が思い浮かんで、なんとも心地良くなりました。
それから、26歳の時にイタリアへ行って、半年だけ住んでみたのだけど、その時の暮らしがボエームだった。
鐘の音とか、屋根裏部屋に友達が住んでたから、いつもボエームごっこしてた。
アパートの階段がほんとに息が切れるし。
ノックして、「コホコホッ」とか言って…。
ボエームごっこ。
やり過ぎて友達に飽きられたけど。
お気に入りの遊びだった。
それから、修道女アンジェリカも体験した。
イタリア留学じゃなくて、遊学の最後はコンヴェント、て言って、修道院に宿泊したの。
修道女アンジェリカみたいなsuora(シスター)がいっぱいいたの。
日本の関西歌劇団て言う所で、修道女アンジェリカの公演があった時、そのコンヴェントでの面白かった出来事を思い出しながら、食いしん坊のキャラクターのドルチーナて言う役をしたのよ。
うんと遡って、子供の頃は、合唱団の演奏旅行でオーストラリアに二週間も行ってホームステイをした。
演奏と遊びと演奏と遊びばっかりだった。
宇宙にどれ程の星があることか…
地平線の彼方遠くから太陽が登ってくる幻想的な、この世の美しきエネルギーを子供ながらに感じた。
乳牛のお乳を絞ってみる?て言われたけど、牛が恐くてできなかった。
小学校六年生の時だった。
そして、沢山のお友達と交流して、ほぼ毎日フォークダンスをした。
もうあちらの同じ年の男の子達は大人だった。
中学生にもなろうものなら、ほんとにしっかり女の子をエスコートするし、フォークダンスも本格的にちゃんと踊る。
そして、日本に帰って来て日本の男の子達の幼稚くささがもう、アホらしくて、おもいっきり男の子達をバカにしたから、男の子達におもいっきり嫌われた。
中学にあがってもそうだった。
でもあっちの人も変人ばっかり。
30歳くらいの時だったけど。
アフリカ人とフランス人からアプローチされたけど、フランス人なんて日本語わからなくて、私はフランス語がわからなくて、通訳付きで告白されて…、めんどくさかった(-.-)
サルサを踊りに行ってたのだけどね。
アフリカの人は、私の黒くて固い髪の毛を褒められて、アフリカの家族に君を紹介したいと言われた。
道で会った人。
でもなんとなく友達になったの。
美容師さんに、
「そんなん言われたー!何とかしてー!!」て
叫びながら美容院へ。((( ̄へ ̄井)
あっ!イタリア人はいきなり勝手に私の唇を奪いやがったあ。
(*`Д´)ノ!!!
あれは許せねー。
何の話やねん ┐(‘~`;)┌
変な事思い出したのでお休みなさい。
(-.-)Zzz・・・・
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