これまでのネガティブには、一段落が付こうとしているように思います
いっぱいこの場を借りて、恥をさらしてしまいました
そのせいで、最近、いろんな関係のない方々までにも、ご心配や、不信感を抱かせたでしょうか?
だとしたら、申し訳なく思います
年代や、各年代事の教育によっては、私達は、これが常識で、こうあるべきが当たり前だ、と思い込んでいる考え方があると思います
特に昭和産まれの私達は、常に向上心を持って、上を上を目指して、夢や希望という名の地獄に突き落とされるような教育だったかもしれません
そもそも、夢や希望、また目標というものを持たないといけなかったんだろうか?
その夢や希望や目標の為に、人と競い、人に負ければ努力が足りないと、自分や人を責め、痛めつけ、夢や希望という名の地獄に突き落とされる、または自分で落ちて行く
その肩書きがないものは、認められず、昇進できなかったりと、負け組とか言って
最初から惨めな暮らしを強いられたり、バカにされたり
そんな教育だったんじゃないかな?
幸せを得るために、あれが足らない、これが足らない、と、足らない物は努力して勝ち取りなさいと、足らない物を出させて、付け足して行くような教育
本当の幸福感は、有るものを数えて、有るもので満たされて行くものなのに
もう既に持っているもので、十分満たされるものなのに
それが幸福感というものなのに
小林正観さんのお話でした🍀
私の言葉に直してしまってますが、元は小林静観さんの思想です
斎藤ひとりさんという方も似たようなお話してます
ご存知ですか?
斎藤ひとりさんのお話は、私は8年前に知りまして、YouTubeでよく聞いていました
本も沢山出てます
お二方共に、よくお釈迦様の教えを解りやすく話してくれてます
最近、心が何かでお疲れの方にはお勧めします
宇宙人がどうのこうの言う話は、どれが本物か判断が付きにくいので、変なスピリチュアルの話を聞くより、いいと思いますよ
日本人の心によく響くと思います
別になんの宗教でもなければ、陰謀論でもなく
極普通のお話だと思います
私は全てが癒されるまで、楽しくひたすら歌います
歌は祈りで、癒しです
全てが癒されるまで
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