マリアカラスの映画が二本出てたと思います。
二本共見ました
一番始めは私は大学生の頃に本を読みました
最近何故だかマリアカラスによくネット上で出くわします
マリアカラスの事を自分なりに書いておられるコラムなど
どれを読んでも、誰がみても、とにかくマリアカラスの人生は波乱万丈で大変そうに映っているようです
マリアカラスに対する民衆達からの絶大な期待のせいで
マリアカラスがそれに応えられないとき
例えば体調が本当に悪くて声が出ず
舞台を降板したら、一方的に契約を切られてしまったり…。
なんだか、民衆からいじめられてしまったのかな?と思ってしまいました
あまりにも人々の期待が大きかったために
それに応えられないときには、期待を裏切った
と思われてしまうようです
それでも、マリアカラスには、世界中のファンからの称賛や、マリアカラスに寄せられる感謝の言葉も沢山あって
上手く歌えた時には、どんなに楽しかっただろう
どんなに気持ちよく気分の良かったことだろう
客観的にみると、その人生は大変過ぎて可哀想なくらい
それでも本人は、絶対幸せだったと思います
歌に携わった人生で、不幸なんてあるだろうか?
大変過ぎて、歌にうっかり携わってしまったばかりに
こんな目に合っちゃった、て思う事は
こんなに何者でもない私にも、それなりにあります
ですが、やっぱり思います
歌は特別
歌が歌えてよかった
歌の人生を生きていて良かった
と思う事は、少なからずあります
私は今、とても幸せです
これから先にも、きっときっと、今までよりももっと嬉しい感動がはるはずだと
根拠はないのですが、そう信じています
もし万が一、歌の人生が終わりになったとしても
次にくる新しい人生は
歌を歌っていて学んだ事が活かされる最高の人生が切り開かれるはずです
それくらい、歌の人生から学んだ事は深く、多いのです
これからは、歌の師匠を探すのではなく
自分で切り開いて行こうとおもっています
技術も大切ですが、それは人間界の話でのこと
もっともっとお手本にした方がいい師匠は
自然の世界の中に沢山あります
技術より、うんちくより
もっと大切なものは、自然から学ぶ
自然こそ、最高の師匠となるはずです
自然に勝るものがあるでしょうか?
薔薇はどうしてあんなに美しく咲くのでしょう
木はどうしてあんなに青々と光っているのでしょう
鳥はどうしてあんなに美しい声で鳴くのでしょうか
歌う能力は、生まれながらにしてもう持っているはずなのです
潜在意識の中にあるはずなのです
本能は、後付けされた小手先の技術より
大きく勝るはずです
勇気を持って自分を信じた方がいい
なので、これからは、歌を教える立場としても
自然に逆らうような教え方は辞めようと思います
歌の好きな人は
本当は生まれながらにして歌い方を知っているはず
こう習ったからこうするもの
ではなく
ある程度声の鳴る仕組みを身体が理解したならば
後はその人がどう感じているか?
を確認しながら
自由に歌ったものが
本当は、一番美しいはずです
こねくりまわして、身体が緊張して歌うより
人間の身体として、自由で自然な状態が一番いいはずです
そういう意味では、クラシック部門では
マイクを通した声はやはり機械の声です
あまり意味がないかもしれませんし、わかりません
歌に携わって幸せな人生
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